山口です。
素材を集めつつ、初の立体作品に挑戦/苦戦してます。
不器用すぎて周りに迷惑かけまくってて、何とか、何が何でもモノにして表現にして行かなきゃと、ぐぐっとなっております。
神さまのためのものづくりは、多分いまの私の宗教観とかリアリティじゃ出来なくて、
描く人の いっこの人間の恐れとか、苦しさとか、優しい気持ちとか、そういう小さい次元から、
いわゆる「神さま」のような高い祈りの次元へ向かって想像して、その想像によって移動し変わって行く経緯が刻まれる,
自分がいま感じているものはそういう臭いの残ったものだと、
今日、祈ることとか仏教、自然信仰等を中心に資料を見ていて感じました。
興福寺の阿修羅像、あまりに有名ですが当時の像としては過剰に華奢らしく、それは制作を命じた光明皇后の幼くして亡くなった息子の姿を模しつつ、成長したらこのようであっただろうと想像した姿を基にしているそうです。
伝香寺の地蔵菩薩。本体は裸で、本物の袈裟を着せられている。
制作を希望した老尼は仏体の内部に自らの交縁録等を遺し、
日々この像を慈しみながら袈裟を着替えさせていたそう。
自分に祈ることが出来るのか。
何にむかって 何のために
自分と祈りの間に感じている距離。
早くかたちに変えて行きたい。
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