蒸し暑い日が続きますね。
ビールっ腹の藤野です。
『アートが山をのぼること』、バスツアーはもう予約して頂けましたでしょうか。
清澄寺での展示の他、我々日本人が長い間祈りを向け続けた場所を巡って頂けます。
その流れの中で自分たちの作品がどのように存在感を放つことができるのかを考えると、、、若干、いやかなりプレッシャーですね。
パワースポットと呼んでしまうと安っぽい感じがしますが、実際に歩いてみると山からは本当に力をもらいます。
道中あちこちで立ち現れる仏像は、愛らしい出立ちで自然の中に腰を下ろしており
今にもこちらに何かを語りかけてくるようです。
頭で理解するより、実際に体験することの情報量はもの凄いものです。是非ご参加下さい。
ご予約はこちらから。http://artyamanoboru.blogspot.com/2011/05/blog-post_3949.html
仏像たちを眺めながらこんなことを考えます。
アートは解を示すことより、問いを投げること の役割がある、ということ。
これは以前作った作品『pragmatic symbol』です。
誰もが知る名画(実寸大)が梱包されており、その横にはキャプション代わりのライトボックスが展示してあります。
QRコードを読み取ると、名画の情報が網羅してあるページに飛びます。
そこでは作者、素材、寸法から時代背景まで知ることが出来ます。
結局自分たちは何を鑑賞しているのか。
そうした問いがこの作品には含まれています。
パッケージングされたものに触れること、それ自体を否定することは今の時代不可能ですが
絵画の鑑賞以外にも、実際に『身体を使うこと』が薄れてはいないでしょうか。
時代の流れみたいなものに、大きな力は働いてないんじゃないかと思います。実は。
何を手に取るかは依然として委ねられていて、選択するのは自分たちであるということを考えてこういった作品を作りました。(もちろんひとつの切り口としてですが。)
アートは実際に飢餓を救ったり実用的な場面での役には立ちませんが
想像力の生まれる中立的な場所をもたらしてくれます。
自分の作品がその場所になれたらと願いながら、作っていきます。
早く現地に向かいたいなー。
夏が待ちどおしい。
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