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※恐れ入りますが、企画者もアーティストのため至らない点が多々あるかと思います。ご意見、ご要望等ございましたら、なんなりとお申し付けください。

2011年6月4日土曜日

おおきなものとちいさなもの

今回「アートが山を登ること」に参加させていただきます。尾家杏奈です。
このような機会を与えていただいてとても感謝しています。
さて、思い返して見ればこの展覧会企画を最初に聞いた時は「新しい祈りの形を想像する」という主旨だったように思います。
私はそれを携帯電話で聞いて参加を即決したのでした。


清澄寺に一度も行ったこともなかった私が、なぜ、清澄寺というお寺で、展示するのか。
幼稚園はカトリック、父の実家は浄土宗、母の実家は神道、部屋にはロザリオと勾玉という宗教ミクストメディアな存在である私がなぜ、こんな宗教施設で展示をを行うのか。考えれば考えるほど場所違いな気もします。

あえて何も考えないで私は決めました。
しかし、それは何も考えないで大晦日に除夜の鐘を聞くような気軽さだったわけではありません。
その理由のひとつに「祈りの形を創造する」というテーマに惹かれたことがあります。

私は絵を描いています。
絵は祈りの1つの形ではないでしょうか。
細部に目を配ったり全体を見たりすることは絵を描く時間と祈る時間に共通するように思います。
そして、私にとっての祈りは、「この世界で、大きなものにも小さなものにも目を配る」ということです。

今回、清澄寺で、私たち出展作家はご祈祷をしていただきました。
その中で瞑想を体験することができました。
まず最初にお香両手でいただき、体に塗ります。
そのお香を体に塗りつけます。
お香の匂いが体をつつみこみ、静かに目を閉じます。
「体を楽にして自分ひとりのことではなくもっと大きなもののことを祈ってください」
頭の中で最初は自分の雑念、そこからだんだん大きくなってこのたびの地震の被災地のこと、世界のこと、宇宙のことが思い浮かびました。
しかし、時間が経つにつれ、出展作家みんなのことや、家族のこと、自分のことに戻ってしまいました。

結局、自分の小ささを思い知ったとともに、このように大きなものや小さなものについて思いを巡らせることができる場所がこの清澄寺という場所なのではないかなと思いました。
多くの日本人が、「無宗教」といいながら神社やお寺に参拝するのも、その場所に惹かれるからかもしれません。

家に帰ってから、お香の匂いと蓮池をイメージした絵を描きました。
また随時アップしますね。

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