自己紹介

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※恐れ入りますが、企画者もアーティストのため至らない点が多々あるかと思います。ご意見、ご要望等ございましたら、なんなりとお申し付けください。

2011年6月23日木曜日

早寝早起き、夕寝わあ。

いろいろあるけど、なにかこうと、まどっていたら、日付回ってしまいました。
今日は
ナシゴレン作る決意と遂行を、まっすぐにおこなった。
多分生涯でナシゴレン食べたことって、想像の中か、一度か、ゼロしかないけれど。




制作は、色々な道具使ってのドローイングと、プランだし、メモみたいなテキストを赤ペンで書き続けて月、緑色のうさぎ、眼球、地球、天体の影、平面、光の到達、月の引力と地球の自転による潮汐、海面、海中、新月、丸、球、いつのまにか海亀の卵のことをかいていた。



展覧会の本制作につながりそうな、つながらなそうな、素材やアイディアを、自分が手を動かすことで点々と、用意する段階です。
ちょっとあせってもいます。
けど、ひとつひとつずつしか、ないですね。というきもちで毎回ぐっと潜るように気をつける。
最近は半分は気を失っているようなもんじゃないか、という感じの集中が、おもしろい気がしている。というか今までもあったことだと思うけれどそういう風に言葉にした自覚。


自分がいつもおもうのは
自分が脳みそで意識して想像できる範囲のことは、実物が存在して及ぼすすべてに比べて、ほんの少しだと思うから
(想像力というものに対して広がりがないという意味では全くないです)(実物と想像、逆も勿論言える)
できたもの、存在するもの、痕跡に、助けてもらいながら、
反応して、また作って、完成して、見る、見るが作る状況、またひとつ
そういうかんじに、作っていくんじゃないかなとなんとなく思っています。
ひとつひとつ。
でもあせる~なんか、ああ私。
がんばります。



けっこうかいたな


かくことないなあとおもってて、メモから引っ張ってきたテキスト
自分の形にならない信仰みたいなものを感じたできごと、読書のこと、載せておきます。

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吉本ばななの『王国~その1~』多分6年ぶり再読。電車。
高校生のときに、ガンガンになりながら読んだことは凄い覚えているが、内容はさっぱり忘れていた。けど、含まれている道徳とか、ゆずれなさとか、恋とかの、規範や、理想が、知らずに自分の中全体に息ずいているのがわかって、ぶわ、一語一句が見逃せなかった。高校生の自分のこと嫌だったし、吉本ばななももう普通くらいの好きさだけれど(たまにてれくさいような、きがしてしまうときすらうまれ)、しかしそれら過去に感謝するような思いの読みだった。
それからお茶は、売るためにではなくて、きれいなパックにして美しく丁寧に作ることがとても大切だと私はおばあちゃんにたたきこまれた。それは儀式であり、茶とそれを開けて飲む人間の両方に、あるきりっとした心構えを作るのだという。人だけではなくて茶の方にもそれを分かってもらうというのが、おばあちゃんの哲学の真髄だったと思う。」
抜き出して書くのは、そこだけだから、ぜんぜんあれだけど、今回はそこの部分読んだ瞬間に読み進めながらふわーと思ったことを書きます。なので引用しました。勿論他の読む瞬間も本当に見逃せなかったし、この部分が特に、ということでもない。ずっといろいろ。

自分はその主人公の女の子みたいな
敏感さも魔法も持たないけど、
インスタレーションの時の、ほんのすこしの差による絶対的な差、これ!今!とか、違う
って、理由なくなぜかわかる時のこと、思い出した。
絵にもあるね。
その方法はピシッとするだけじゃないピシッと仕方。
空気が変わる瞬間を、作って、それをそのままにするか、しないか選ぶ。

色々言うけど
コンセプトとか言うし、それら本気だけど、
なんだかんだ勘でやってんだな…。
今日素材選びのときの想像の広がりの選択にも感じた。
いつも半分気を失ってるようなものだ。
気を失っているのが悪いのではない。
だからこそなおさら敏感にならないと。
作っている最中の時間。


色んな、自分が出てきて
したいとかやりたいとか、認められたいとか、喜びの種類も色々あってしまうけれど

世界に自分の体を通してできることをやらせてもらうだけかも。そこを、見失わないで、つきつめていくのなら、世界はひとつひとつ、受け止める場所を用意してくれていくきがする。
それがむずかしいけれど。
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など
わあつくります
どきどき




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