先日平川君と話をしました。その時に、何故京都の古いお寺を自分たちは一緒に巡っているのかという話題になりました。
私が京都に通ってきた理由は、自分自身の鑑賞眼を信用していなかったためで、歴史的に重要とされているものをみることによって作品を見る力を向上させたいと思ったからです。クオリティを確認したかったのです。
平川君はお寺や仏像などの古美術から感動体験を得るために京都に行っていたと言っていました。感動を重視し、それに負けない感動を自分の作品からも与えられるようにしたいと言っていました。私はそれを尊重します。
しかしながら、私にとってそれは当てはまりません。私は日頃からあまり感動しないタイプの人間なのです。自分の感動した体験をそれほど重要視しません。
同じ物をみてきているのに考えることや感じる事は人それぞれなのだと思いました。
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