土曜日更新担当尾家杏奈です。
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今日も今日とてブログ更新いたします。
宗教に首を突っ込むのは少し怖い。
日蓮宗について勉強する機会をいただいて、日々クーラーの効いた図書館やら書店やらで勉強させていただいているのだが、最近こう思う。
ブログなんだからネガティブなことを書いてはいけないと押さえていたが、正直に書くことにした。
やっぱり宗教は怖い。
しかし、宗教は別に噛み付いてくる訳でもない。
だから今日はゆったり身構えて、なぜ怖いのか、を考えてみよう。
①宗教の歴史は争いの歴史だからかもしれない。
世界にはたくさんの宗教がある。それらは争いの火種になることも多々ある。
現に今でも、宗教が国同士の争いの原因になっている国々さえある。
日蓮の一生に至っても争いなしでは語れない。
そのせいか宗教からドロドロした歴史を感じてしまうときがある。
②宗教施設は人間の欲望が集まっている場所だからかもしれない。
祈りや願いはどんなにいいものでも少し怖いものではないだろうか。
「〜になりたい」と願って叶えてしまう人たちがいる。
それを叶えたいと願う人間の欲望は計り知れない。
その膨大な欲望が一カ所に集まっている宗教施設というものは神聖でありながらきわめて俗っぽい場所でもある。
そうはいっても宗教に寄って芸術や学問、文化が発展してきたことはまぎれもない事実である。
昔の人は読み書きそろばんだって寺子屋で学んだものだ。
しかしやはり宗教には親しみきれない怖さがあるとも思う。
例えば、絵馬の形一つとっても大仏の形一つとっても、それを作るのに要したたくさんの人の欲望がある。
それが脈々と現代まで残っているというのはやはり尋常じゃない。
それらを育ててきた宗教の根元にある人間の欲望と、その欲望まみれの人間たちの争いを感じてちょっと背筋が寒くなってしまった。
理解を超えているのだ。
‥節電の夏、今年はクーラー控えめで済みそうだ。
(とか書きましたがもう作品も郵送して展示する気は満々です笑)
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