土曜日更新担当尾家杏奈です。
自分のホームページを作ってみました。http://annaoya.jimdo.com/
よかったら遊びに来てください〜
今日も今日とてブログ更新いたします。
宗教に首を突っ込むのは少し怖い。
日蓮宗について勉強する機会をいただいて、日々クーラーの効いた図書館やら書店やらで勉強させていただいているのだが、最近こう思う。
ブログなんだからネガティブなことを書いてはいけないと押さえていたが、正直に書くことにした。
やっぱり宗教は怖い。
しかし、宗教は別に噛み付いてくる訳でもない。
だから今日はゆったり身構えて、なぜ怖いのか、を考えてみよう。
①宗教の歴史は争いの歴史だからかもしれない。
世界にはたくさんの宗教がある。それらは争いの火種になることも多々ある。
現に今でも、宗教が国同士の争いの原因になっている国々さえある。
日蓮の一生に至っても争いなしでは語れない。
そのせいか宗教からドロドロした歴史を感じてしまうときがある。
②宗教施設は人間の欲望が集まっている場所だからかもしれない。
祈りや願いはどんなにいいものでも少し怖いものではないだろうか。
「〜になりたい」と願って叶えてしまう人たちがいる。
それを叶えたいと願う人間の欲望は計り知れない。
その膨大な欲望が一カ所に集まっている宗教施設というものは神聖でありながらきわめて俗っぽい場所でもある。
そうはいっても宗教に寄って芸術や学問、文化が発展してきたことはまぎれもない事実である。
昔の人は読み書きそろばんだって寺子屋で学んだものだ。
しかしやはり宗教には親しみきれない怖さがあるとも思う。
例えば、絵馬の形一つとっても大仏の形一つとっても、それを作るのに要したたくさんの人の欲望がある。
それが脈々と現代まで残っているというのはやはり尋常じゃない。
それらを育ててきた宗教の根元にある人間の欲望と、その欲望まみれの人間たちの争いを感じてちょっと背筋が寒くなってしまった。
理解を超えているのだ。
‥節電の夏、今年はクーラー控えめで済みそうだ。
(とか書きましたがもう作品も郵送して展示する気は満々です笑)
自己紹介
2011年7月24日日曜日
2011年7月16日土曜日
製作中の部屋から
土曜日更新担当オヤアンナです。
花崎さんの「残月」の詩がとてもすてきですね~。
映像が浮かぶようです。
字面だけでも素敵なこの「残月」を花崎さんがどんな風に舞うのか、楽しみですね♪
そして展示も近づいてきました。
ラストスパートですね。
山口さんのあのドローイングから立体になるのかなーとか
平川君の絵の配置はどうなるのかなーとか
千ヶ崎くんの作品は映像なのかなーとか
斉藤さんのつれづれなるままに書かれた文章はなかなか夏の夜に合ってるなーとか
藤野君の作品は空間とどう響くのかなーとか
ブログを見ているだけでもいろいろ想像が膨らんで楽しいのですが、
ブログからは見られないこの企画の結末をぜひ見に来てくださいね。
私もラストスパートに向けて走ります!
花崎さんの「残月」の詩がとてもすてきですね~。
映像が浮かぶようです。
字面だけでも素敵なこの「残月」を花崎さんがどんな風に舞うのか、楽しみですね♪
そして展示も近づいてきました。
ラストスパートですね。
山口さんのあのドローイングから立体になるのかなーとか
平川君の絵の配置はどうなるのかなーとか
千ヶ崎くんの作品は映像なのかなーとか
斉藤さんのつれづれなるままに書かれた文章はなかなか夏の夜に合ってるなーとか
藤野君の作品は空間とどう響くのかなーとか
ブログを見ているだけでもいろいろ想像が膨らんで楽しいのですが、
ブログからは見られないこの企画の結末をぜひ見に来てくださいね。
私もラストスパートに向けて走ります!
2011年7月10日日曜日
落ちる 篇
昨日はブログ更新しながら寝てしまって、いわゆる寝落ちでした。
なので月曜日に更新しております。
尾家杏奈です。
この「落ちる」という言葉を覚えたのは中学生の頃、パソコンルームでチャットをしていた時でした。
>そろそろ落ちまーす^^
という言葉で大体の人はチャットから出て行きます。
この「落ちる」にはチャットという仮想空間から現実世界へ戻るという意味がこめられているのでしょうね。
それこそチャットの世界では日常的に使っていた言葉でしたが、チャットをしなくなった今となってはあまり使う機会も無い言葉になってしまいました。
「落ちる」
「眠りに落ちる」
「地獄へ堕ちる」
「堕落する」
「落下するパラシュート」
落ちるということは上と下を意識することです。
例えば現実という浮遊空間から眠りで意識の下層までおちること、例えば天国と地獄の上下関係、例えば空と地をパラシュートで行き来すること・・・
清澄寺もですが、京都、奈良にある数多くのお寺も山の上にあります。
このことは、お寺という存在にある種の別次元性を与えていると思います。
上から下に上がることによってちがう何ものかの世界に移行するのです。
背の低い犬は高い足のテーブルの上に乗ったフライドチキンが見えません。
それを見るには同じくらいの高さのいすが必要です。
というわけで、アートが山に登ることもそんな別次元が見えるような展覧会にしたいと思います。
なので月曜日に更新しております。
尾家杏奈です。
この「落ちる」という言葉を覚えたのは中学生の頃、パソコンルームでチャットをしていた時でした。
>そろそろ落ちまーす^^
という言葉で大体の人はチャットから出て行きます。
この「落ちる」にはチャットという仮想空間から現実世界へ戻るという意味がこめられているのでしょうね。
それこそチャットの世界では日常的に使っていた言葉でしたが、チャットをしなくなった今となってはあまり使う機会も無い言葉になってしまいました。
「落ちる」
「眠りに落ちる」
「地獄へ堕ちる」
「堕落する」
「落下するパラシュート」
落ちるということは上と下を意識することです。
例えば現実という浮遊空間から眠りで意識の下層までおちること、例えば天国と地獄の上下関係、例えば空と地をパラシュートで行き来すること・・・
清澄寺もですが、京都、奈良にある数多くのお寺も山の上にあります。
このことは、お寺という存在にある種の別次元性を与えていると思います。
上から下に上がることによってちがう何ものかの世界に移行するのです。
背の低い犬は高い足のテーブルの上に乗ったフライドチキンが見えません。
それを見るには同じくらいの高さのいすが必要です。
というわけで、アートが山に登ることもそんな別次元が見えるような展覧会にしたいと思います。
2011年6月25日土曜日
土曜の夜のちょっといい話~日蓮法難編~
土曜日担当オヤアンナです
あついですね。
あついですね。
節電が叫ばれていますがみなさまどういう風に暑さを乗り越えていますか?
~日蓮ってどんな人?~
一言で言うと使命感に溢れた人だろう。
何度も幕府と対立したが、それにめげることなくむしろ反対されるほど日蓮宗の信者であることの証明ができると、自分の信念にしたがって動いた。
その信念とは法華経こそがただひとつ正しい教えだと言うことだ。
日蓮は確かに強い意思がある強い人だ。
しかしその強い日蓮をサポートする周囲の人間たちがいたことこそ、日蓮が力を発揮できた理由だろう。私はそれを日蓮が体験した法難の内のふたつ、「松葉ヶ谷法難」と「伊豆法難」の逸話から感じた。
「松葉ヶ谷法難」では日蓮は他宗の僧に松葉ヶ谷の草庵を焼き討ちにされるが、白いサルたちに導かれて難を逃れたという逸話が残っている。この白いサルとは犬神人と呼ばれる人々だったらしい。犬神人とは神社に属し、皮はぎ業を営む人のことである。
「伊豆法難」では幕府によって伊豆国伊東へ流罪にされたが、漁夫にかくまわれた。日蓮はもともと漁師の子である。また、産まれた浦刀禰は漁業や供御田の管理をしており、漁業にかかわる人々から敬われていた。
日蓮はこの法難によって命の危機にあうが、これら道々の人によって助かっている。
そしてその後も変わらず信念を曲げずに行動を続けた。
だから日蓮の教えが今も私たちに伝わっているのはその、道々の名も無き人々のお陰でもある。
日蓮が一人でぶつぶつやっていただけでは今、日本に日蓮宗という宗派すらなかったかもしれない。そう考えると一人の力は多人数の力にはかなわないと感じる。
一日を無事に終えられても一人でそれをなしとげたわけではないと思う。
さまざまな人、さまざまな環境によって一人の人の一日が形作られる。
だからいろんなものに感謝しながら一日を思い返すのが大切なのだろう。
みえないものにもみえるものにも「ありがとう」。かかわったものにもかかわっていないものにも「ありがとう」。
日蓮の生涯を思い返すなかで感謝の気持ちを思いだした。
制作メモ:日蓮の逸話をモチーフにペインティングを描いています。
①日蓮が生まれた時に海に蓮の花が咲いたという逸話
②鵜飼の幽霊を鎮めるために小石に経の文字を書いて水底にしずめたという話
③松葉ヶ谷法難の逸話
2011年6月18日土曜日
オムライス考察篇
土曜担当オヤアンナです。
じめじめしていて体がだるいです。
隣の犬もなんだかだらだらしています。
そんな日には普段考えないことを思いつくものでオムライスについて見つめなおそうという試みをしました。
以下 オムライスについての考察になります。
「-オムライスには外側から見えない部分がある。
それは中身である。
オムライスの中身はチキンライスかもしれないしピラフかもしれない。
ピラフはピラフでもカレーピラフの可能性もシーフードピラフの可能性もある。
スプーンを入れないと中身は分からない。未知の食べ物、それがオムライスである。
オムライスはたいてい子供に食欲をそそる食べ物である。
しかしそこに目をつけたお母さんが中に嫌いな野菜を入れている可能性もある。
グリーンピースが入っているかもしれない。ピーマンが入っているかもしれない。
ピーマンはピーマンでも赤ピーマンの可能性も黄色ピーマンの可能性もある。
そんなときどうするのか。
嫌いなグリーンピースを一個一個取り除きながら食べるのか。
ピーマンのかけらを隣に居る兄弟のお皿に移しながら自分だけピーマン抜きのオムライスにありつくのか。
しかしそれらを取り除いた所で、お母さんの「野菜を食べてほしい」という願いは無くなるわけではない。
お母さんは子供に元気に育ってほしいがために栄養たっぷりの野菜をオムライスに仕込むのである。
お母さんの本当の願いをくみとり、オムライスの中のグリーンピースを平気で食べられるようになれば一人前である(かもしれない)。」
というわけで「アートが山を登ること」もそんな、外側からだけでは見えない中身を感じていただける展覧会にしようと思っています。
作家はオムライスの中からがんばりますのでぜひご高覧いただけると幸いです。
じめじめしていて体がだるいです。
隣の犬もなんだかだらだらしています。
そんな日には普段考えないことを思いつくものでオムライスについて見つめなおそうという試みをしました。
以下 オムライスについての考察になります。
「-オムライスには外側から見えない部分がある。
それは中身である。
オムライスの中身はチキンライスかもしれないしピラフかもしれない。
ピラフはピラフでもカレーピラフの可能性もシーフードピラフの可能性もある。
スプーンを入れないと中身は分からない。未知の食べ物、それがオムライスである。
オムライスはたいてい子供に食欲をそそる食べ物である。
しかしそこに目をつけたお母さんが中に嫌いな野菜を入れている可能性もある。
グリーンピースが入っているかもしれない。ピーマンが入っているかもしれない。
ピーマンはピーマンでも赤ピーマンの可能性も黄色ピーマンの可能性もある。
そんなときどうするのか。
嫌いなグリーンピースを一個一個取り除きながら食べるのか。
ピーマンのかけらを隣に居る兄弟のお皿に移しながら自分だけピーマン抜きのオムライスにありつくのか。
しかしそれらを取り除いた所で、お母さんの「野菜を食べてほしい」という願いは無くなるわけではない。
お母さんは子供に元気に育ってほしいがために栄養たっぷりの野菜をオムライスに仕込むのである。
お母さんの本当の願いをくみとり、オムライスの中のグリーンピースを平気で食べられるようになれば一人前である(かもしれない)。」
というわけで「アートが山を登ること」もそんな、外側からだけでは見えない中身を感じていただける展覧会にしようと思っています。
作家はオムライスの中からがんばりますのでぜひご高覧いただけると幸いです。
2011年6月12日日曜日
すごろくってどうかな
ツアーに組み込まれたスポットにちなんだ双六を作って来場者の方に配ったりしようかなと一人で思っているのです。
さいころの目に運命を決められてふらふらするなんて人生みたいで良い感じだと思います。
勝手に作ってまた、アップするかも。
ツアーの詳細とかも交えてみようかな。
さいころの目に運命を決められてふらふらするなんて人生みたいで良い感じだと思います。
勝手に作ってまた、アップするかも。
ツアーの詳細とかも交えてみようかな。
2011年6月11日土曜日
制作中
こんにちはー。
オヤアンナです。
奈良は最近じめじめしています。関東のほうはいかがでしょうか。
ブログがだんだん充実してきましたね♪
私もこの企画がどうなるのか楽しみです。
このところは瞑想で得たイメージと、普段からテーマのひとつにしてきた幻覚のような状態をミックスさせようとペインティングに取り組んでいます。
参加者の人へのプレゼントはどれにしようかなと思案中。
オヤアンナです。
奈良は最近じめじめしています。関東のほうはいかがでしょうか。
ブログがだんだん充実してきましたね♪
私もこの企画がどうなるのか楽しみです。
このところは瞑想で得たイメージと、普段からテーマのひとつにしてきた幻覚のような状態をミックスさせようとペインティングに取り組んでいます。
参加者の人へのプレゼントはどれにしようかなと思案中。
2011年6月4日土曜日
おおきなものとちいさなもの
今回「アートが山を登ること」に参加させていただきます。尾家杏奈です。
このような機会を与えていただいてとても感謝しています。
さて、思い返して見ればこの展覧会企画を最初に聞いた時は「新しい祈りの形を想像する」という主旨だったように思います。
私はそれを携帯電話で聞いて参加を即決したのでした。
清澄寺に一度も行ったこともなかった私が、なぜ、清澄寺というお寺で、展示するのか。
幼稚園はカトリック、父の実家は浄土宗、母の実家は神道、部屋にはロザリオと勾玉という宗教ミクストメディアな存在である私がなぜ、こんな宗教施設で展示をを行うのか。考えれば考えるほど場所違いな気もします。
あえて何も考えないで私は決めました。
しかし、それは何も考えないで大晦日に除夜の鐘を聞くような気軽さだったわけではありません。
その理由のひとつに「祈りの形を創造する」というテーマに惹かれたことがあります。
私は絵を描いています。
絵は祈りの1つの形ではないでしょうか。
細部に目を配ったり全体を見たりすることは絵を描く時間と祈る時間に共通するように思います。
そして、私にとっての祈りは、「この世界で、大きなものにも小さなものにも目を配る」ということです。
今回、清澄寺で、私たち出展作家はご祈祷をしていただきました。
その中で瞑想を体験することができました。
まず最初にお香両手でいただき、体に塗ります。
そのお香を体に塗りつけます。
お香の匂いが体をつつみこみ、静かに目を閉じます。
「体を楽にして自分ひとりのことではなくもっと大きなもののことを祈ってください」
頭の中で最初は自分の雑念、そこからだんだん大きくなってこのたびの地震の被災地のこと、世界のこと、宇宙のことが思い浮かびました。
しかし、時間が経つにつれ、出展作家みんなのことや、家族のこと、自分のことに戻ってしまいました。
結局、自分の小ささを思い知ったとともに、このように大きなものや小さなものについて思いを巡らせることができる場所がこの清澄寺という場所なのではないかなと思いました。
多くの日本人が、「無宗教」といいながら神社やお寺に参拝するのも、その場所に惹かれるからかもしれません。
家に帰ってから、お香の匂いと蓮池をイメージした絵を描きました。
また随時アップしますね。
このような機会を与えていただいてとても感謝しています。
さて、思い返して見ればこの展覧会企画を最初に聞いた時は「新しい祈りの形を想像する」という主旨だったように思います。
私はそれを携帯電話で聞いて参加を即決したのでした。
清澄寺に一度も行ったこともなかった私が、なぜ、清澄寺というお寺で、展示するのか。
幼稚園はカトリック、父の実家は浄土宗、母の実家は神道、部屋にはロザリオと勾玉という宗教ミクストメディアな存在である私がなぜ、こんな宗教施設で展示をを行うのか。考えれば考えるほど場所違いな気もします。
あえて何も考えないで私は決めました。
しかし、それは何も考えないで大晦日に除夜の鐘を聞くような気軽さだったわけではありません。
その理由のひとつに「祈りの形を創造する」というテーマに惹かれたことがあります。
私は絵を描いています。
絵は祈りの1つの形ではないでしょうか。
細部に目を配ったり全体を見たりすることは絵を描く時間と祈る時間に共通するように思います。
そして、私にとっての祈りは、「この世界で、大きなものにも小さなものにも目を配る」ということです。
今回、清澄寺で、私たち出展作家はご祈祷をしていただきました。
その中で瞑想を体験することができました。
まず最初にお香両手でいただき、体に塗ります。
そのお香を体に塗りつけます。
お香の匂いが体をつつみこみ、静かに目を閉じます。
「体を楽にして自分ひとりのことではなくもっと大きなもののことを祈ってください」
頭の中で最初は自分の雑念、そこからだんだん大きくなってこのたびの地震の被災地のこと、世界のこと、宇宙のことが思い浮かびました。
しかし、時間が経つにつれ、出展作家みんなのことや、家族のこと、自分のことに戻ってしまいました。
結局、自分の小ささを思い知ったとともに、このように大きなものや小さなものについて思いを巡らせることができる場所がこの清澄寺という場所なのではないかなと思いました。
多くの日本人が、「無宗教」といいながら神社やお寺に参拝するのも、その場所に惹かれるからかもしれません。
家に帰ってから、お香の匂いと蓮池をイメージした絵を描きました。
また随時アップしますね。
2011年5月25日水曜日
作家紹介(尾家杏奈)
尾家杏奈 ANNA OYA
Education:
-2009 京都市立芸術大学美術科油画専攻
Kyoto City Universtiy of Arts . Oilpainting course
-2011 京都市立芸術大学大学院美術科絵画専攻
Kyoto City University of Arts (master’ s degree). Painting course
Solo exhibitions:
2009 はじまりのはじまり-Dawn of the beginning-(wada fine arts/Tokyo)
2010 Catacombe(wada fine arts/Tokyo)
Group exhibitions:
2009 Entrance into garden (imura art gallery/Kyoto)
NEGAPOP (sinwa art museum/Tokyo)
2010 作品中! (gallery16/Kyoto)
via art 入選者展示(がんこ二条苑ふれあいギャラリー)
2011 作品中!(gallery16/Kyoto)
Awards:
2008 imura art gallery award
audience prize (via art osaka2008/Osaka)
KURATA award (via art EFD2008/Tokyo)
2009 Encoragement award(Kyoto City University of Arts )
2010 LOCA prize (LOCA Exibition Kyoto City University of Art)
Others:
2010 Mancy’ s art night/Tokyo
Art Fair Tokyo /Tokyo
Art TAIPEI /Taipei
2011Art next singapore/Singapore
Education:
-2009 京都市立芸術大学美術科油画専攻
Kyoto City Universtiy of Arts . Oilpainting course
-2011 京都市立芸術大学大学院美術科絵画専攻
Kyoto City University of Arts (master’ s degree). Painting course
Solo exhibitions:
2009 はじまりのはじまり-Dawn of the beginning-(wada fine arts/Tokyo)
2010 Catacombe(wada fine arts/Tokyo)
Group exhibitions:
2009 Entrance into garden (imura art gallery/Kyoto)
NEGAPOP (sinwa art museum/Tokyo)
2010 作品中! (gallery16/Kyoto)
via art 入選者展示(がんこ二条苑ふれあいギャラリー)
2011 作品中!(gallery16/Kyoto)
Awards:
2008 imura art gallery award
audience prize (via art osaka2008/Osaka)
KURATA award (via art EFD2008/Tokyo)
2009 Encoragement award(Kyoto City University of Arts )
2010 LOCA prize (LOCA Exibition Kyoto City University of Art)
Others:
2010 Mancy’ s art night/Tokyo
Art Fair Tokyo /Tokyo
Art TAIPEI /Taipei
2011Art next singapore/Singapore
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