自己紹介

自分の写真
※恐れ入りますが、企画者もアーティストのため至らない点が多々あるかと思います。ご意見、ご要望等ございましたら、なんなりとお申し付けください。

2012年5月8日火曜日

清澄山の子供と清澄山のじじ

昨年2011年8月10日(水)〜8月21日(日)の間、僕らは自分達も予想しきれない展覧会を行なおうとしていた。 京都などの観光施設として観光客が訪れるお寺ではなく千葉の鴨川の山奥にある現在も多くの信者の方々が利用するお寺での展覧会は、いつも不安でいっぱいで、今冷静に考えるとよく出来たものだと思う。 そんな僕達を支えてくれたのは、多くの大人の方々だったが今日はある一人のジジについて書きたい。 以前にも僕のブログなどでも紹介している大好きで素敵なジジだ。 はっきり言って僕達がお寺で展示するにあたり持っていた知識は、宗派なども含めお世辞にもあるとは言えないものだった。 しかし、文化や伝統を考える若者として大きな心で受け入れてくれたのだと思う。 僕らは、展示の準備などのために展覧会の約3週間前からお寺のすぐ近くの古民家でレジデンス制作をさせていただいた。 築100年はあるだろう山奥の家で参加アーティスト6人+1人の共同生活が始まった。
僕らは、レジデンスに入る前に清澄山についてや日蓮宗についてなどのリサーチをしてきた。 しかし、なかなか自分のリアリティーと繋げるのに苦労していた。 そんな中で僕らは一人のジジに出会う。ジジの名前は藤武さんといい僕らの古民家のすぐ下に住んでいた。 藤武さんは清澄山に子供の頃から住み長い間清澄山の写真を撮ったり、歴史を調べている人だった。 僕らの展示のリーフレットの写真を提供してくれたのも藤武さんだ。
藤武さんは僕らが清澄山で展示する事をすごく喜んでくれた。 そして、多くの事を教えてくれた。清澄山が実は8つの山からできてることや、清澄の自然についてなどについて。。。 また藤武さんは野性のシカを鈴で呼ぶことができてTVにも何度か紹介された人だった。 実際僕達もシカを呼ぶ所を見せてもらったが、鈴の音とジジがシカを呼ぶ声はとても幻想的だった。 清澄レジデンス中に僕も何度か挑戦してみたがやはりジジにしかできなかった。 展覧会がはじまった。。。
その時もジジは、お洒落して僕らを祝ってくれた。 本当に嬉しかった。 展覧会が始まってからも何度も展示会場に足を運び僕らを励まし応援してくれた。 お寺の現状を何か変えたいと思っていたジジは、僕らのアートワークから何か夢を見てくれたようであった。 本当に毎日のように展覧会場に来てくれた。暑い日はかき氷を差し入れしてくれた。 お得意の写真を撮ってはすぐに現像して持って来てくれた。
本当に心の支えだった。 藤武さんが喜んでくれるとこっちが元気をいただいた。 また藤武さんは『アートが山をのぼること』が終わったあと作家の藤野が展示していた報恩殿にて清澄寺や清澄山を紹介するボラティア活動を始めたり展示後もいろいろな展開をしていた。 http://hirakawakenkyujyo.blog104.fc2.com/blog-date-201201-1.html 本当に藤武さんは清澄が好きだった。 そんなジジにもう会えないかと思うと本当に辛い。。。 僕らはジジの子供だった。本当に成長させてもらった。 会えないなんて未だに信じられないけど、僕らがジジから貰ったいろいろなモノは生涯の宝にして行きたい。 今年も暑い日がやってくる。夏の暑さと蝉の声を聞いたらジジを思い出すことだろう。 またみんなで清澄山に登ろう登ったらジジ会える気がするから。
ジジおやすみ。

2011年8月29日月曜日

自身のブログで展示について書きました。

展示作品撤去後体調を崩し死んでました。。
やっと時間ができたので展示まとめをしようかな。

自身のブログで展示について書きました。
http://hirakawakenkyujyo.blog104.fc2.com/blog-entry-441.html

そのうち、こっちでも何か書きますね。
明日から芸大の研究室旅行だーーー!!夏休みもほとんど家にいない。。。

2011年8月27日土曜日

千ヶ崎慶一の作品紹介

今回展示した清澄寺の庫裡の間は薄暗く雰囲気のある空間でした。庫裡の間には左甚五郎が奉納した鎮火牛が設置してありました。私は鎮火牛の歴史を知り、鎮火牛をモチーフにした作品を作ることを決めました。

鎮火牛とは・・・
以下引用-----------------------------------------------------
『ひぶせのうし』と呼ばれ、庫裡の土間に入った右手にあります。昔、この山には火事が多くお寺は何度も全焼しました。これを耳にした旅の匠が火の鎮まることを祈りながら彫った一刀彫りの牛をお寺に奉納したところ、それ以来、山から火事はでなくなりました。匠は左甚五郎と伝えられ、虚空蔵菩薩が丑寅の守り本尊であることから牛を彫ったそうです。(大本山清澄寺ウェブサイトhttp://www.seichoji.com/hibusenousi.html)
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庫裡の間の空間は元々暗かったので灯りが必要だと私は考えました。そこで光を扱うことを決めました。庫裡の間には他にも美しい格子状の下駄箱がありましたが、それは今回の鎮火牛をテーマとした作品の邪魔になってしまうので暗室にすることで格子を消しました。


この作品で大切な事は、左甚五郎の彫刻と千ヶ崎慶一のインスタレーションの関係性でした。今回は鎮火牛の実体を消してゆく様な方法をとりました。なぜなら庫裡の間全体の空間を演出したかったからです。セザンヌの絵画の様に背景を描くことで世界観を作りだすことにしました。



部屋の入り口には左甚五郎が彫った鎮火牛が設置されており、両端には光を使った円状のインスタレーションを2つのブロックに分けて設置しました。それぞれのインスタレーション中央に設置したモニタには映像を展示しました。その映像は鎮火牛を3層のレイヤーで表現したものでありそれが微妙に動き、鎮火牛の下のランプが動き出すといった内容でした。

全体の展示


インスタレーション中央に展示された映像


展示空間を歩き回った時の映像


以下は展示空間の映像と作品のキャプションです。

タイトル 「鎮火牛」
サイズ   40秒
素材    アニメーション
説明

この作品は鎮火牛(ひぶせのうし)をモチーフにしています。鎮火牛とは、江戸時代に左甚五郎が彫った一刀彫の牛の彫刻です。鎮火牛が奉納される以前は山火事が多かったそうですが、鎮火牛が奉納されて以来火事が無くなったそうです。

山火事や津波、干ばつ、地震などの自然災害に対して人々は芸術作品を作ってきました。その時人々は災害を鎮めるといった願いとともに、未来に自分の作品を残す事を考えたでしょう。それは自然の風化に対する人類の抵抗だといえます。そのような芸術の根源もふまえ、鎮火牛が守ってきた清澄寺の歴史をこの作品は描き出しています。

2011年8月24日水曜日

今回のレジデンスと展覧会を終えて/千ヶ崎慶一


今回のレジデンスと展覧会を終えて 
千ヶ崎慶一

2011年8月10日から21日まで千葉県鴨川市の清澄で展覧会「アートが山をのぼること」が開催されました。各アーティストは、7月末から徐々にレジデンススペースに集まっていきました。約10日間の制作期間の中でアーティストたちは共同生活をしながら各々の作品を完成させていきました。展示された作品は個性があり多様で素晴らしいものばかりでした。またそれだけではなく展示された場所に合った作品でした。清澄寺の大きな空間に沢山のアート作品がちりばめられました。

アーティスト達にとってこの展覧会は冒険でしたが、清澄寺側からみても冒険でした。1300年の歴史があるこの寺院でこの様な展覧会を開催するのは初めての試みだったからです。また8月20・21日には東京からの「アートが山をのぼることバスツアー」が開催され、沢山の方々が展覧会場および各地名所に足を運びました。このツアーはアーティストが独自で企画したもので他に例をみません。以上の様に様々な面からみてこの展覧会は画期的でした。このような大きく、有意義な展覧会を完成させたことはアーティスト達にとって大きな自信になるでしょう。

また、作品制作においての意識の変化がアーティスト達にあったのではないでしょうか。これは千ヶ崎自身の感想なのですが、影山聖人が開いたヨガ教室に参加し、ヨガを体験したことで一人称で感じ考える事はアーティストにとって大事な事だと実感しました。特に現代アートでは、作品を素早く大量に作る事を迫られるためか、自分の作品を第三者的に観てしまうことがあります。他人はこんな所まで観ないなとたかをくくってしまうことはアーティストにとってとても危険な事なのです。主観でものを捉える事の重要性を実感できたことは大きな収穫でした。

ここでアーティスト達の作品を簡単に紹介したいと思います。詳しくは他の記事で各作家が説明します。

◆尾家杏奈 
日蓮の伝承をモチーフにした作品と、尾家が清澄から得た印象を描いた平面作品が研修会館の信育道場に展示されました。

◆齋藤春佳
















時間や場所を考えさせる作品が東屋や野外に展示されました。

◆千ヶ崎慶一








清澄寺に奉納された左甚五郎作の鎮火牛をテーマにした映像インスタレーション作品。


◆藤野真司










情報社会での祈りの場所を問う2つの作品。日蓮の師匠である導善房の彫刻が安置されている報恩殿で展示されました。

◆平川恒太









研修会館の信育道場での自然と人間をテーマにしたインスタレーション作品。







2メートルの筆を使い、和紙に泥絵を描くというパフォーマンスを毎日行いました。


◆山口真和


普段から方向をテーマにする制作をしている山口は、旭ヶ森からみえる日の出の方向や妙見菩薩の祠を向いた作品を野外に展示しました。
※妙見菩薩:北極星を神格化したもの



◆他会場のだあな舍ではプレオープン企画として安永則代の「記憶・直感・期待」という展覧会も催されました。こちらは"what is the most important for us" という問いに針金を使った工作で答えてもらういった参加型の作品になりました。


2011年8月11日木曜日

NHKの放送!!

昨日、NHKさんに取材していただいた放送時間がきまりました。
しかし、夜に事件等が起きる場合放送予定が変わるのでご了承ください。

放送予定時間
あさ7:45から8:00のニュースの中で放送予定です。

宜しくお願い致します。

展覧会開催!!

展覧会はじまりました。
昨日は初日という事もあり、多くの来場者にお越しいただきました。
またNHKや房日新聞の記者さんにも来ていただきました。
上の作品は山口真和の旭が森の展示

他のアーティスト展示も素晴らしいですよ!!
会期中にも幾つか作品が増えるかもです。(お楽しみに)
あと、参道のお土産物屋さんのおばさんとアートお土産プロジェクトも企画し始めました。
最初のお土産は15日くらいに出来る予定です!!

長い間準備をしてきましたが、今回の展示を開催できたというのは、とても自信になりました。
1日1日が僕たちアーティストにとってもすごく良い経験になっています。

今度ブログで朝日をアップしますね!!


2011年8月7日日曜日

オープニングパーティーのご案内


報道関係者各位


時下皆様におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

この度、2011年8月10日から8月21日まで千葉県鴨川市にあります清澄寺にて、展覧会「アートが山をのぼること」を開催いたします。

初日の8月10日には報道関係者様をお招きし、ささやかなオープニングパーティーをおこないます。当日は出展作家による作品解説も予定しておりますのでふるってご参加ください。

皆様のお越しを心よりお待ちしております。


出展作家一同

房日新聞に掲載されました。









10日から開催
東京発のツアーも
東京、京都などで活躍する現代アートの若手新進作家6人が10日から21日まで、日蓮宗の大本山清澄寺(鴨川市清澄)と釈迦寺(同市貝渚)を舞台に展覧会を開催する。
清澄寺では「アートが山にのぼること」のタイトルで、鴨川や日蓮、仏教世界に着想を得るなどして制作した作品を含めた絵画、彫刻、映像作品30点以上を境内の屋内外に展示する予定。
約1300年の歴史を持つ名刹が?アート空間?として使われるのはこれが初めて。作家らは7月30日から順次清澄入りし、合宿しながら作品制作と展示準備を開始。周辺住民らはこのユニークな活動を興味深く見守っている。
出展作家は長狭高を卒業し、現在東京芸術大大学院修士課程在学中の山口真和(まな)さん(23)と、平川恒太さん(24)、千ヶ崎慶一さん(26)、齋藤春佳さん(23)、尾家杏奈さん(24)、藤野真司さん(21)。6人は各種のアートコンペティションで知り合い、親交を深めてきた。
今回の企画は昨年末、山口さんが「お寺のような伝統的な空間で展覧会をやってみたい」と釈迦寺の住職、影山教俊氏に相談したことがきっかけ。現地を訪ね、折衝を重ねる中で、清澄寺側も「若い人たちの活動を支援しよう」と会場提供を快諾した。
6人は期間中の20日、東京発1泊2日の「清澄バスツアー」も企画。40人を集客予定で、20日夜には地唄舞の公演、夜の展覧会場散策といったイベントも開催する。
平川さんは「自分では清澄の自然をテーマにした作品を準備した。私たちの?鴨川観?を美術を通して感じてほしい」千ヶ崎さんは「現代美術はとっつきにくいといわれるが、見ていただければ隔たりはないと分かってもらえると思う」と話している。
展覧会は入場無料。午前9時から午後4時まで。展覧会の情報はウェブサイト(http://artyamanoboru.blogspot.com/)で確認できる。
【写真説明】展示会の打ち合わせをする出展メンバーら=鴨川
8月2日20時00分 347

___________________
転載 房日新聞ウェブサイト
http://www.bonichi.com/News/item.htm?iid=5652&TXSID=gu7ele1ogblbk4k1u7brfi7r77

2011年8月1日月曜日

ラマダーン

今日から ラマダーンの月が始まりました

  正確には 昨日の日没からですが


イスラームでは 太陰暦の9番目の月を ラマダーンと呼び

  イスラム教徒は この月に断食をします



私は イスラーム教徒 というわけではありませんし

  特に 何かの宗教的活動を しているわけでもありません


ただ このような宗教の知識を得ることは

  その地域の宗教だけでなく 文化や芸術などを知る機会にもなりますし

  それは 自国の宗教、文化や芸術を 見つめる機会にもなると考えています



それで 今回 ラマダーンについて

  少し 書かせて頂こうと思いました




ラマダーンの始まりは 新月の目視により決定され

  次の新月まで 約1ヶ月間続きます


この間 イスラーム教徒は断食をするわけですが

  それは 日の出ている間だけで

  日没後や日の出前には 食事を摂ることができます



この断食により 過去の罪が許され

  また 肉体も健康になり 病気を防ぐと考えられています




イスラームでは 日常生活の行いについて

  細かな取り決めがたくさんあり

  外から見ると 理解し難いものもたくさんあるかもしれません


しかし それらができた時代と地域においては

  そうすることが 日常生活を円滑に進めることができる

  理にかなったものであったのかもしれません



また あるイスラーム教徒の友人が こう言いました

  日本は イスラームではないけれど

  町はきれいだし 人は正直だし

  行いは イスラームと同じであると



人間の生き方において 大事なことは

  宗教が違っても その本質的なところは

  そんなに 変わらないのかもしれません




生きることは

  本質を追究していくことだと考えています


そして その手段として

  人はそれぞれ 自分の能力を最大限活かせる場を

  選んで行くのだと思っています



そして 私にとってはやはり

  舞うことが それにあたるのです

  

2011年7月30日土曜日

入山間近。


夜は少しだけ過ごしやすくなりましたが、まだまだ暑いですね。

先日は京都・八瀬比叡山口に行って参りました。
山と川、雄大な自然に囲まれ友人アーティスト達と狂喜乱舞。
激流にダイブ→全身を岩で殴打。軽く出血するも生還。楽しかった。。

山はどこにいても何か大きな存在と繋がっている気持ちになりますね。




最近は自分の制作の中にある要素を見直すばかり。

日本のアートにはコンテクストが無い、とよく言われますが
それらは自分の足下から探るほか無いでしょう。



信仰と、僕たちがアートと呼ぶものには似通った先入観がある気がします。

それは『納得』の領域かもしれません。



これは友人の話です。

両親が熱心なクリスチャンだった彼は、幼少の頃からキリスト教と距離の近い生活をしてきました。
教会にも通い、神様のお話も素直に面白いと感じてたそうです。

しかし彼の祖父、祖母はクリスチャンではありませんでした。

大好きなふたりのことを考えてるうちに、辿り着いた結論は

『おじいちゃんおばあちゃんが天国に行けないんだったらぼくも行けなくていいや。』

だったそうです。

それ以来教会に通う理由も無くなった、と彼は言います。

(※勿論キリスト教を否定してるわけではありません。。)


歴史にも目にすることができますが
人はかたちの無いものに、とてつもなく苦しんだり救われたりするので

どこかでアートにも意味づけが必要なのかなと思います。




少しずつ雲が夏らしくなってきましたね〜
明日京都を発ちます。







2011年7月27日水曜日

もうひとつの星の井戸の底のこと

みんなちゃくちゃくと作品出来上がっていってそうですね!
もう、出来てるんですか…!
私はちょっと、実はまだまだ不安でいっぱいです…。
作り続けています。


インスタレーションを考えていますが、
インスタレーションの、あんまり見た目はすっきりしてないやつを
展示場所にいないで、作っていくのは初めてなので
うまく関わっていけるのかな…という不安があります。
早く現地に行きたいです。という気持ちと、まだまだ準備が足りない…!という気持ちです。


折角皆と過ごせる時間をひとり殺伐としたくないです~
しちゃうかな…
多分現地での物物や事々との出会いが重要になってくるので
とかいいつつ、カメラも持って、寝袋ももって、日焼け止めももって、マスクもって、サングラスもって、ハードディスクも持って
日記書こう~ 塩つくりたい~ 毎日あの作品すすめよう~ 散歩しよう~
など楽しむきまんまんです

私、海の近くに滞在したこと、生まれてこの方ないです。  



またはなしがずれてしまった…





そのインスタレーションに関しては
自分の気持ちの中で、すっきりしている部分をしっかり持って、
ごちゃごちゃにのぞめるように頑張ります。



とまとまったかと思いきややっと本題です。













小さいドローイングです。またプレゼントドローイングのほうにもアップします。




今回の展示作品のうちのひとつに
星の井戸についての作品を考えています。


星の井戸とは
千年以上前から使われている井戸で、井戸の中に星影をやどすと言われています。
というものだそうです。

実際物との直接の関わりなくプランを勧めているので多分自分の誤読もあるかもしれないと思いますが…。これもまた現地でどうなるか、不安と楽しみです。






井戸の底の水面に星が映るのを見る時
近い星と遠い星の光が同時に見える今の瞬間に、遠い過去からと近い過去までの光景を同時に同じ平面上に見ているということが起きています。

深い井戸にコインを投げると願いがかなうという伝承は世界各国に残っています。

水面ではない乾いた井戸底に水することで
水面として空映す(光年先、過去の光景)
&何かによってそこに今はないコイン跡浮かび上がる(過去の祈りの跡)

星みたいな祈りの跡が、平面にあらわれます。


お金を投げると願いがかなう、その願いは
お金で交換できない願いです。(お金と交換できる願いなら、そこにお金を投げ入れないで、直接交換するから)
資本主義の流れに乗らなくなっちゃう、増殖の欲望を持たない
今後何とも交換されない、
祈りのツールという特殊な
お金の、ただきらきらだとか、でもいくらだろうって見えるよ
祈りにいくらまでなら出せるんだろう、量じゃないけど、量があらゆるものと変換可能に見える
どこまで「祈る行為」の力を信じているんだろう
500円玉と1円玉の存在ぜんぜん違う
色々含んだ
お寺でのお金の
見え方についても、言及していこうと思っている作品です。

Squids

2011年7月25日月曜日

じぶんをなくする

   
舞っている時に 一番気をつけていること

    自分を出すのではなく 自分をなくすこと



なるべく 自分のクセがでないように

    自分の意志が出ないように 自分を消す 



常にしっかりと 地に足をつけ

    自分の力が邪魔しないよう 重力を受け流し



天と地とのバランスを保つために

    効率よく 体と呼吸をつかう




それでもなお

    自分からは逃れられないのだけど



そうやって

    自分を小さくすればするほど



大きな力が

    天と地から 返ってきて



そして

    その力は 自分だけの力を

    はるかに 凌駕するものである

   

2011年7月24日日曜日

宗教のこわさ

土曜日更新担当尾家杏奈です。



自分のホームページを作ってみました。http://annaoya.jimdo.com/
よかったら遊びに来てください〜

今日も今日とてブログ更新いたします。

宗教に首を突っ込むのは少し怖い。

日蓮宗について勉強する機会をいただいて、日々クーラーの効いた図書館やら書店やらで勉強させていただいているのだが、最近こう思う。

ブログなんだからネガティブなことを書いてはいけないと押さえていたが、正直に書くことにした。

やっぱり宗教は怖い。

しかし、宗教は別に噛み付いてくる訳でもない。
だから今日はゆったり身構えて、なぜ怖いのか、を考えてみよう。

①宗教の歴史は争いの歴史だからかもしれない。

世界にはたくさんの宗教がある。それらは争いの火種になることも多々ある。

現に今でも、宗教が国同士の争いの原因になっている国々さえある。

日蓮の一生に至っても争いなしでは語れない。

そのせいか宗教からドロドロした歴史を感じてしまうときがある。

②宗教施設は人間の欲望が集まっている場所だからかもしれない。

祈りや願いはどんなにいいものでも少し怖いものではないだろうか。

「〜になりたい」と願って叶えてしまう人たちがいる。

それを叶えたいと願う人間の欲望は計り知れない。

その膨大な欲望が一カ所に集まっている宗教施設というものは神聖でありながらきわめて俗っぽい場所でもある。


そうはいっても宗教に寄って芸術や学問、文化が発展してきたことはまぎれもない事実である。

昔の人は読み書きそろばんだって寺子屋で学んだものだ。


しかしやはり宗教には親しみきれない怖さがあるとも思う。


例えば、絵馬の形一つとっても大仏の形一つとっても、それを作るのに要したたくさんの人の欲望がある。

それが脈々と現代まで残っているというのはやはり尋常じゃない。

それらを育ててきた宗教の根元にある人間の欲望と、その欲望まみれの人間たちの争いを感じてちょっと背筋が寒くなってしまった。

理解を超えているのだ。


‥節電の夏、今年はクーラー控えめで済みそうだ。



(とか書きましたがもう作品も郵送して展示する気は満々です笑)

2011年7月20日水曜日

鎮火牛のモデリング












現在、鎮火牛を3DCGで制作しています。3Dのソフトを操作するのが初めてなので、時間がかかっています。作品を作るからには発見や発明が毎回無くてはならないと私は考ます。今回はそれが3DCGなのです。

2011年7月19日火曜日

山にのぼる

先日 富士山に

登頂して参りました



















お天気にも恵まれ

すばらしい御来光を 拝むことができました



富士山は古くから 日本の象徴として

また 信仰の対象として 多くの信仰を集めてきました



















足下に広がる 雲海

地平線から登る 真っ赤な朝日


非日常的な情景を

肌で感じることができます



頂上に至るまでには

岩場や砂利道を 一歩一歩進み


気温や酸素の低下に

自分の体を 対応させて行かなければなりません



非日常の未知の環境の中で

自らの限界を感じ


あるいは 限界を超えた

その次の段階に至り



己の限界と可能性に触れることで また

あらたな世界が 広がって行くのではないかと思う

今日この頃です

 

2011年7月16日土曜日

製作中の部屋から

土曜日更新担当オヤアンナです。

 花崎さんの「残月」の詩がとてもすてきですね~。
 映像が浮かぶようです。
 字面だけでも素敵なこの「残月」を花崎さんがどんな風に舞うのか、楽しみですね♪
 
そして展示も近づいてきました。
 ラストスパートですね。
 
山口さんのあのドローイングから立体になるのかなーとか
 
平川君の絵の配置はどうなるのかなーとか

千ヶ崎くんの作品は映像なのかなーとか

斉藤さんのつれづれなるままに書かれた文章はなかなか夏の夜に合ってるなーとか

藤野君の作品は空間とどう響くのかなーとか

ブログを見ているだけでもいろいろ想像が膨らんで楽しいのですが、

ブログからは見られないこの企画の結末をぜひ見に来てくださいね。


私もラストスパートに向けて走ります!


 

2011年7月13日水曜日

山口真和 プレゼントドローイング更新しました


1枚ドローイングが仕上がったのでアップします。
会場で展示する作品はそれぞれある方向性を持たせとうと作っていますが、
ドローイングではそれらのもととなった、イメージの全体像のようなものを描いています。
詳細は以下のページに。
http://artyamanoboru.blogspot.com/2011/05/blog-post_26.html

山の中のてんてん






清澄山標高350メートル

じつは、清澄山という独立した山はない。
摩尼山(妙見山)・寶珠山・如意山・ 露地山・金剛山・鷄莽山・獨鈷山・富士山ら清澄寺を取り囲む八山をはじめとした山塊をまとめて清澄山と呼ぶ。


清澄寺は1200年の歴史を誇るお寺だけれど、これらの山は清澄寺の建つもっと前、仏教の伝わるもっと前から信仰の場だった。
もっとずっと前、占いや呪術による信仰の頃から。
鹿や亀の骨や血を用いた儀式を行う場所だったと見られる血溜めの彫りのある平岩だとか、そういう跡が険しい山中に残っているらしい。

お寺を基点に見てしまうと見落としてしまいそうになるけれど、
頂はあっても中心はない。

海から立ち上がるこの山々全体が信仰の場なのだ、
古くから人がそこに行為の場としての小さな点を打ってきた。
清澄寺も日蓮という人間の残した (大きいけれど) 一つの点で

この山塊の中には忘れられた点々がきっとたくさん印されているのだということ。

今ではそれを知っているのは山だけ。

私たちの作るものも、この夏の間、

その点となるように。